吉田拓郎 / 無人島で…。

ジャケットをじっと眺めると、満天の星のイメージ。仮に、無人島の「地」と夜空の「天」をコンセプトにしたアルバムであったとしても、残念ながら、決め手になる曲が入っていない。拓郎自身のきつかった時代を象徴するアルバムでもある。レコード盤ではA面(「この指とまれ」から「ファミリー」まで)が吉田拓郎の作詞、B面(「パーフェクトブルー」から「白い部屋」)が松本隆の作詞という構成。

なお、4曲目の「ファミリー」は「80年ライブ収録」としか記載されていないが、Wikipediaによると日本武道館でのライブ録音だそうだ。この曲は、ライブ録音以外のバージョンは存在しないとのこと。

1. この指とまれ
2. 春を呼べⅡ
3. Y
4. ファミリー
5. パーフェクトブルー
6. 風のシーズン
7. 無人島で...。
8. 愛してるよ
9. 白い部屋

発売 1981年12月1日

吉田拓郎 / アジアの片隅で

どうしようもなく拓郎を聴きたくなるときがある。タイトル曲「アジアの片隅で」からエネルギーを補給するアルバム。だが今夜は、2曲目「いつも見ていたヒロシマ(作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎)」に歴史を考えなければならない。

オレはどこへ行こう 君はどこへ行く
時はおし流す 幾千の悲しみを
時は苦しめる 幾千の想い出を
焼きつけた都市から 確かな愛が聞こえる

* * *
1. まるで孤児のように
2. いつも見ていたヒロシマ
3. 古いメロディー
4. アジアの片隅で
5. 二十才のワルツ
6. いくつもの朝がまた
7. ひとつまえ
8. 元気です
9. この歌をある人に

発売 1980年11月5日

吉田拓郎 / Shangri-la

大学のジャズ研時代でも、拓郎は聴いていた。しかし、1980年4月に社会人になって、きっぱりと聴かなくなった。理由は簡単である。一人暮らしを始め、電話もなく、テレビもなく、新聞も取らなかったから情報源が絶たれたため。月刊誌のスイングジャーナルが唯一の情報源。給料からは、毎月購入する10数枚の中古ジャズレコード代をまずは確保し、残った金で暮らしていた。

80年5月5日にリリースされたアルバムShangri-laを知ったのは、それからだいぶ先のことである。つまり、80年代は拓郎と縁が切れていた。ラスト曲「又逢おうぜ あばよ」状態が続いた。そうだ、アパートには風呂もなく銭湯通いだった。

1. あの娘といい気分
2. いつか夜の雨が
3. Bye Bye Yesterday
4. 帰らざる日々
5. 愛の絆を
6. 熱き想いをこめて
7. あの娘を待ってる街角
8. ハネムーンへ
9. 街へ
10. 又逢おうぜ あばよ

発売 1980年5月5日