コルトレーンの世界 / 植草甚一・鍵谷幸信

白水社 1978年1月20日発行 1,500円。植草甚一と鍵谷幸信の編集による本で、数多くの人が、この本でコルトレーンを語っている。青木和富、清水俊彦、悠雅彦、相倉久人、白石かずこ、中上健次、翠川敬基など。その中で、中上健次は短文で次のように結んでいる。

「コルトレーンとアイラーの死んだ今、絶対にジャズの日々は帰らない事を知っている。私に、ジャズは死んだ。いや、ジャズとともにあったねじ曲がった魂の、虫けら同然の、私の<青春>のようなもの、それがはっきりと死んだ。私にはジャズは無用だ」。Amazonで調べたところ、1991年3月1日再版の古本が数冊販売されているだけだった。中上が言うように、コルトレーンの死と共にジャズも死んでしまったのかも知れない。

シモコフ & テッパーマン 間章訳 / エリック・ドルフィー

1975年6月29日発行 晶文社 定価1960円。この本は、そのものずばり『エリック・ドルフィー』と題されたドルフィーの研究書である。だがしかし、清水俊彦氏と訳者の間章氏が、それぞれのエッセイを加えたことで、ドルフィーという人間像が浮かび上がっている。発行から46年の間に、新たなドルフィーの音源はほとんど発掘されなかった。それは、あまりにも凝縮された彼の演奏家としての人生だったからだろう。間章氏は、本書の中でさりげなくこう語っている。

「彼こそは本来的に即興演奏でしかない、根拠をあらかじめうばわれた音楽であるジャズを演奏家として演奏し続けるという二律背反において、見事に生きてみせた一人の演奏家なのである」。そして、以下に本書に記されたドルフィーの語録のようなものを抜粋した。

「私は自分の演奏を、調性にのっていると考えています。たしかに私は、与えられた調にある通常の音とはいえない音で演奏します。しかし私にとっては、これらの音は正しい音として聞こえるのです。私は自分が、発想のおもむくまま勝手に変えているとは決して思ってはいません。私にとっては、私の吹くひとつひとつの音は、曲のコードに関連しているのです」。

「私にとってジャズは、生活の一部のようなものなのです、それはふだん道を歩きながら、人が見たり聞いたりするものに対する反応や私の印象といっても良いくらい私には自然なものです。私はそういった反応のすべてを、私の音楽を通して、ストレートに表現することができると思っています」。

「楽器で演奏する人間は、私が演奏に対して持てたのと同じくらいの暖かい人間性と人間的な感情でもって、演奏に接するよう努めなければならないと思います。私は、私が今まで通常の方法で話すことができたのより以上のものを、楽器を通して演奏することによって表現したいのです」。

「あまりにも多くの知るべきことがあり、そして、試み、発見しなければならないことがあるのです。私は、私が今までなしとげたものすべての彼方にある〈なにか〉を、いつも聞き続けています。私には、自分が得ようと努めなければならない〈なにか〉がいつもいつもあるのです。私が音楽で成長すればする程、私の聞ける新しいものの可能性も増大するのです。まるで以前にはその存在を想像もしなかったサウンドを、私はあくことなく求め続けるようにしていつも生きています」。

Bob Dylan / マイ・バック・ページズ

河出書房新社 2016年12月30日発行 定価1,300円。ディランのアルバムや書籍は、よほどのことがない限り購入してしまう。自分にとって新しい情報があるかどうか別として、誰が何を感じているかを知りたくなるのだ。この本は、ノーベル文学賞を受賞した後に編集されただけあって、文学や詩の素養を持っていないと、読みこなせない。なので、またも勉強の材料が増えたことになる。

波長が一番あったのはピーター・バラカンの次の一節。

「ぼくの座右の銘は〈ライク・ア・ローリング・ストーン〉の最後に出てくるWhen you got nothing, you got nothing to lose(なにも持っていなければ失うものもない)なんです。この生き方しかないじゃない。ヘンにものをもつと逆に失うものがいっぱい出てきて、自由に行動できなくなるし、冒険心もなくなってしまう。これが人間にとっていちばんおそろしいことじゃないかと思います」。