湯浅学 / ボブ・ディラン ロックの精霊

2013年11月20日発刊 岩波新書 定価760円。この本を読むまで、湯浅学と言う音楽評論家は知らなかった。ネットで調べると、同学年である。大学在学中に、大瀧詠一の事務所・スタジオでアシスタントを経験したとあった。音楽評論が主な仕事らしいが、ジャンルにはこだわっていないようだ。この本は、コンパクトにディランの生き方を描いている。ディランをもっと知りたい人には、勧めたい。

しかし、書かれている内容の情報源は、ディランの「自叙」などから。彼独自の視点がちりばめられているものの、強烈に伝わってくるメッセージは少ない。悪い意味ではないが、少し教科書的な印象を受けた。本書の『あとがき』に「ボブ・ディランがいなかったらロックはこうなっていなかった。それは確かなことだ」とある。じゃあ、どうなっていたかと想像する一文が欲しいのだ。

監修=菅野ヘッケル / ボブ・ディラン読本

2012年7月6日発行・音楽出版社。この本をネットで購入して、数ヶ月が経ってしまった。B5版160頁ということもあって、通勤時のカバンに入れるには重すぎたため積んでおいた。ようやく、ページを開くチャンスが。新幹線往復での広島出張。一気に読み切った。しかし、新しい発見はほとんどなかった。ということは、ディランを自分なりに聴き込んできた証拠でもある。

この本の表紙には「2012年5月24日、71歳になったボブ・ディランは、50年のキャリアをさらに超えて歌い続ける」と書いてある。つまり、デビュー50年を記念して発行された本。ディランを聴いてきた人には、それほど価値がある本ではない。ただ、アルバムTempestがリリースされ、デビュー50年の年に自分がいるという証拠として所有する価値はあるのだろう。この本を読んで思い出した曲 My Back Pagesの一節。

Ah, but I was so much older then, I'm younger than that now.
ああ、わたしはあんなにも年老いていた 今はあのときよりずっと若い

現代思想 2010年5月臨時増刊号 ボブ・ディラン

青土社 2010年4月20日発行 定価1,800円。下記のように様々な分野の人がディランを論じている。アメリカ文学を専門にする筆者が多いのは、ディランだからこそだろう。そして、ミュージシャンは友部正人だけ。友部はエッセイ「ボブ・ディランを探して」として寄稿し、最後にこう結んでいる。

「ディランとは、言葉という煙を吐きながら音楽を捨てずに生きてきた人のことだと思う。言葉という煙は消えてしまうが、結局ディランは残るのだ。残ってまた煙を吐き続けて進んで行く。ぼくは遠くにいてもその煙を見ているしかない。そうすればディランが今どこにいるかがわかるのだ」。

友部正人(ミュージシャン)、三井徹(英文学)、アーサー・ビナード(詩人)、瀬尾育生(詩人)、山内功一郎(アメリカ文学)、飯野友幸(アメリカ文学)、ポール・スワンソン(宗教学)、佐藤良明(アメリカ文学)、岡崎乾二郎(芸術家)、長畑明利(アメリカ文学)、大和田俊之(アメリカ文学)、五十嵐正(音楽評論家)、市田良彦(社会思想史)、平井玄(音楽評論家)、荒このみ(アメリカ文学)、吉岡忍(作家)、東琢磨(音楽評論家)、南田勝也(社会学)、源中由記(アメリカ文学)、堀内正規(アメリカ文学)、湯浅学(音楽評論家)