スイングジャーナル 1964年1月号

表紙の解説によると「デイブ・ブルーベックは、1920年12月6日カリフォルニア州のコンコルドに生まれた白人。43才を迎えたばかり。ピアノは4才頃から習い始め、はたち過ぎ頃までクラシックの作曲法を学んでいる」とある。この号には、取り立てて面白い特集はなかったが、「マイルス・デイビス公演中止の経緯」という気になる記事を見つけた。

1964年の正月公演の契約が進んでいたにもかかわらず、マイルス側からの一方的なキャンセルになったようだ。その理由は記されていない。マイルス自叙伝で調べてみたが、何も触れていなかった。ただし、64年2月12日のフィルハーモニック・ホールでの市民権登録運動の慈善コンサートに出演することにしたとあるので、スケジュール調整が難しくなったのかも知れない。しかし、同年7月、ついに初来日を果たし、アルバムMiles In Tokyoを残してくれた。

スイングジャーナル 1963年4月号

表紙の解説に「最近インパルス・レコードはデューク・エリントンとジョン・コルトレーンの共演したLPを発表、ファンを驚かしている」とある。このアルバムは1962年9月録音。表紙としては、ほぼタイムリーなのだが、アルバムのジャケット写真をそのまま借用。別のツーショットは、入手できなかったということだろうか。

特報としての「セロニアス・モンク四重奏の来日確定か?」という記事が、この時代を象徴する内容なので、非常に興味深い。記事の最後はこう締め括られている。「ともあれ、1940年代のバップ黎明期から常にユニークでピュア―なピアノ演奏と作曲を続けてきたセロニアス・モンクの来日は、我国の戦後ジャズ界最大のイベントである」。戦後ジャズ界という言葉が通用していた時代。

スイングジャーナル 1962年5月号

かなりのジャズ通でも表紙の写真をJunior Cook(ジュニア・クック)と言い当てる人は、かなり少ないだろう。クックのリーダーアルバムは10枚に満たないので、名前は良く知っていても顔は知らないということだ。それ故に、クックを表紙に使ったのはクリーンヒットと言える。

本号では、マックス・ローチのアルバムWe Insist!を問題作の新譜として取り上げ、植草甚一氏がレビュー。邦題を『自由への祈り』としていることに時代を感じる。ローチに関連して、「マックス・ローチのドラミングを研究する(いソノてルヲ)」、「マックス・ローチの音楽的思想(蔡垂炳)」の2つの記事を掲載。クックは次号に回して、ローチを表紙に使っていればホームランだった1962年5月号。