スイングジャーナル 1971年11月号

世界のジャズ・ニュースで「ディジー・ガレスピー大統領出馬を断念」という記事を見つけた。つまり、ニクソンと闘おうという意思があった訳だ。

まぁそれはさておいて、オーディオ懸賞論文というコーナーがあった。「オーディオ」なる言葉も死語に近いが、1970年代初めはアナログの再生が高価な趣味の一つであった。その心意気やプロセスを文章にするというのは、さすがに時が経ったという感じ。

スイングジャーナル 1971年10月号

表紙はファラオ・サンダース。ウェザー・リポートの取材記事などがあり興味深い号。この頃は常に括弧書きで「天気予報」と記されていた。無理して翻訳しなくてもいいのだが。それ以上に興味を引くのはキース・ジャレットの1971年7月8日の録音風景。チャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンをコアにしてデューイ・レッドマンも加わっている。キースはソプラノも吹き、この当時から多才振りを発揮。

この時の録音はThe Mourning Of A Star(邦題:流星)として発表されたが、デューイ・レッドマンのクレジットはない。彼としては、相当に悔しかったと思う。だが、半年後に録音された2枚組アルバムExpectationsで見事にリベンジ。