児山紀芳氏によるビル・エバンスへのインタビュー記事掲載。しかし、なんと14ページ分が落丁で、エレクトリックピアノに対するエバンスの見解が途中で終わっている。
スイングジャーナル 1971年11月号
世界のジャズ・ニュースで「ディジー・ガレスピー大統領出馬を断念」という記事を見つけた。つまり、ニクソンと闘おうという意思があった訳だ。
まぁそれはさておいて、オーディオ懸賞論文というコーナーがあった。「オーディオ」なる言葉も死語に近いが、1970年代初めはアナログの再生が高価な趣味の一つであった。その心意気やプロセスを文章にするというのは、さすがに時が経ったという感じ。
スイングジャーナル 1971年10月号
表紙はファラオ・サンダース。ウェザー・リポートの取材記事などがあり興味深い号。この頃は常に括弧書きで「天気予報」と記されていた。無理して翻訳しなくてもいいのだが。それ以上に興味を引くのはキース・ジャレットの1971年7月8日の録音風景。チャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンをコアにしてデューイ・レッドマンも加わっている。キースはソプラノも吹き、この当時から多才振りを発揮。
この時の録音はThe Mourning Of A Star(邦題:流星)として発表されたが、デューイ・レッドマンのクレジットはない。彼としては、相当に悔しかったと思う。だが、半年後に録音された2枚組アルバムExpectationsで見事にリベンジ。