スイングジャーナル 1968年1月号

ジャズ・ディスク大賞が発足。「過去1年間(1967年1月新譜~12月新譜)に日本のレコード会社から発売されたジャズレコード(直輸入盤を含む)が選定の対象」。ここまでは問題ない。「本誌委嘱のジャズ・ディスク大賞候補選出委員会によって選出された候補レコードより本誌月評担当者全員の記名投票によって受賞レコードを選定」。対象をある程度絞らないと、評価が分散し集約できない可能性があるので、ここは致し方ない。

問題は、候補選出メンバー9名と月評担当者18名。前者全員は後者にも属している。つまり、候補を選出したにもかかわらず投票できる仕組み。残りの月評担当者9名は縛りの中に置かれてしまっている。ディスク大賞は、その後も大きなインパクトがあったが、この仕組みで出発にしたことに大きな失敗があった。候補の選出はスイングジャーナルの責任を持って、編集長が行うべきだったのだ。

スイングジャーナル 1967年12月号

1967年10月初旬に初来日したオーネット・コールマン。児山紀芳氏によるコールマンへのインタビュー記事が前号に掲載。羽田プリンス・ホテルのロビーで撮った写真が表紙右。写真嫌いのコールマンだそうだが、3カットだけ撮れたとのこと。左の写真は、ホテル室内でのリハーサル途中に児山氏が撮影。本号には、小林泰彦氏の絵と文による「オーネット・コールマンの服」という記事が載っている。

スイングジャーナル 1967年11月号

表紙はJ.J.ジョンソン。特集記事は、油井正一氏による「コールマン初公演を聴く」。コールマンの初来日が1967年10月だったことを初めて知った。この公演がアルバム化されていないので、手掛かりがなかったからだ。そして、「もめにもめた来日公演」から始まる記事にその理由があった。

コールマンは、デヴィッド・アイゼンソン、チャーリ・ヘイデン、エド・ブラックウェルというベース2本とドラムを従えて来日。しかし、書類不備により3日の東京公演と4日の名古屋公演がキャンセル。さらに、観光ビザで来日したヘイデンとブラックウェルは舞台に立てず。5日のサンケイホールでの初公演は、富樫雅彦がぶっつけ本番で臨んだのだった。