スイングジャーナル 1985年5月増刊「ゴールド・ディスク事典」

30年前の増刊号を丁寧に読んだ記憶がある。だけど、まだまだ給料は安く、聴きたいと思ったアルバムに簡単には手を出せず、渋谷のディスクユニオンで中古LPを漁っていた。その頃、つまり1980年代半ば、新譜のLPは2千円以上、中古LPでも程度が良ければ千円ほどだったと記憶する。

給料が現金払いだった時代。アパートの家賃を支払い、残った金からまずはLP購入に3万円を寄せて。余った金で生活。まぁ、稼いだ金と自分の時間は、8割がたジャズと酒につぎ込んできた感じがする。

ジャーナル社にとっては臨時増刊の出版であっても、読み手は自分の生き方を確かめる価値があった訳なのだ。30年以上、本棚で出番をまっていた増刊号。ゴールド・ディスクの第一弾は、トミー・フラナガンの『オーバーシーズ』だった。

スイングジャーナル 1984年12月臨時増刊「モダン・ジャズ読本'85」

「ジャズはどうなっているのか、そして次代のジャズはどうなっていくのか」という特集記事で、次のキャッチコピーが書かれている。

・ニューオリンズからやってきたウイントン・マルサリスは”天の恵み”だった
・”新伝承派”によってメインストリーム・ジャズは蘇った

新伝承派なる言葉を作り上げ、ジャズをつまらない方向に導いたスイングジャーナルと、この時期の編集長の罪は大きい。

スイングジャーナル 1983年12月臨時増刊「モダン・ジャズ読本'84」

ウイントン・マルサリスは、未だにファンになれない。トランペットがうまいのは分かっている。フォー・ビート回帰の立役者だったということも評価したい。だけど、ジャズの巨人と言われてきたミュージシャンは、ジャズ界がどうなろうと気にはしていなかった。自分が目指す音楽をやっていたに過ぎない。つまり「回帰」などという考えは、全くなかったはずだ。

パーカー、トレーン、マイルス、ミンガス、モンク、パウエル。誰一人、ジャズに対して過去の遺産みたいな考えはなかった。そんなウイントン・マルサリスをスイングジャーナルは神童ともてはやした。結局のところ、神童はただのプレイヤーになってしまったのだ。