スイングジャーナル 1982年12月臨時増刊「モダン・ジャズ読本'83」

表紙はマイルス。しかし、「追悼企画★今年逝った3人の巨星たち」という短い記事がとてつもなく重い。セロニアス・モンク(1982年2月17日)、アート・ペッパー(6月15日)、ソニー・ステット(7月23日)の3人である。

可能な限りこの3人のアルバムは収集してきたものの、この年を境にして彼らの新たなプレイを聴くことができなくなったことを覚えている。もう40年近く前の出来事。

スイングジャーナル 1981年12月臨時増刊「モダン・ジャズ読本'82」

モダンジャズ読本ではあるが、マイルス読本と言ってもいいくらいにマイルスの記事で埋め尽くされている。この読本が発刊された1981年12月。10月にマイルスが来日した。自分は10月4日の新宿西口特設会場でのコンサートを体感。あれからもう40年経っている。

児山紀芳氏によるインタービューで、マイルスはこう語っている。
「誰かのために演奏なんてしない。自分のためにやってるだけだ」
「自分の耳に聞こえる通りにプレイしている。それだけのことだ」
「ストーンズと一緒にツアーなんて気はないね。やりたくなんかない」
「この身体がどうなるんだろうって、恐怖におびえることもあるんだ」

スイングジャーナル 1976年4月臨時増刊「世界ジャズ人名辞典」

45年前に発刊された辞典。当時の定価で1,300円。厚さ25mm、590ページ、アーティスト2,400人、活字110万字の超大作である。この臨時増刊が発刊されたとき、無事に浪人生活を終えて大学へ。そして、ジャズ研へ足を踏み入れ、ウッドベースをやろうと決意した。いまではネットで何でも検索できるが、ジャズマンの情報を網羅的に調べるには、この辞典以上のものはない。電子化される見込みは全く無いので、絶対に手放すことはできない。

改めて全体を確認したら、2つのことに気が付いた。掲載されている日本人は秋吉敏子のみ。当時のスイングジャーナル社は、渡辺貞夫や日野皓正が世界に通用するジャズマンとは、まだ認めていなかったのだ。そして、監修の野口久光氏と編集人の児山紀芳氏が、[G]の人名項目を担当した若手ジャズ評論家のホープ・中野宏昭氏が刊行なかばで急逝したことに対し、その悲しみを記している。自分の愛読書『ジャズはかつてジャズであった』を遺した中野氏。1976年3月17日死去。31歳だった。