スイングジャーナル 1986年5月臨時増刊「ジャズ・ジャイアンツ これが決定盤」

116人のプレイヤーのアルバムを、それぞれ10枚・5枚・4枚という3段階に分けて紹介している。つまり、数百枚のアルバムを掲載。これは毒である。所有していないアルバムを見つけると、どうしても聴きたくなる。そして、無意識にアマゾンで検索を始める。

この増刊号が発売された当時はアマゾンなんてなかった。なので、気になるアルバムをメモして渋谷のディスクユニオンに中古LPを探しに通ったものだ。その頃、給料は現金支給だった。アパートの家賃を払いレコード代を確保し、残ったお金で安い酒を買い生活していたのが懐かしい。古いジャーナルは、当時の生活を思い出させてくれる。

スイングジャーナル 1985年12月増刊「ジャズ読本'86」

大きな企画読み物は3つ。「新伝承派のすべて」「Let's CD」「おめでとうサッチモ!!」。新伝承派はどうでもいい。1971年7月に69歳で他界したサッチモの生誕85周年特別企画。新伝承派の台頭でサッチモ浮上のコピーが書かれているが、ちょっと無理がある。

大事なのは、CDに関する記事が多い事。ジャズの世界において、LPを完全に追い抜いたのは1985年だったと言える。あるデータによると、CDの販売枚数は1998年にピークとなり、その後は下降が続いている。そんな中、せっせと買い漁っているオヤジがここにいるのだが。

スイングジャーナル 1985年5月増刊「ゴールド・ディスク事典」

30年前の増刊号を丁寧に読んだ記憶がある。だけど、まだまだ給料は安く、聴きたいと思ったアルバムに簡単には手を出せず、渋谷のディスクユニオンで中古LPを漁っていた。その頃、つまり1980年代半ば、新譜のLPは2千円以上、中古LPでも程度が良ければ千円ほどだったと記憶する。

給料が現金払いだった時代。アパートの家賃を支払い、残った金からまずはLP購入に3万円を寄せて。余った金で生活。まぁ、稼いだ金と自分の時間は、8割がたジャズと酒につぎ込んできた感じがする。

ジャーナル社にとっては臨時増刊の出版であっても、読み手は自分の生き方を確かめる価値があった訳なのだ。30年以上、本棚で出番をまっていた増刊号。ゴールド・ディスクの第一弾は、トミー・フラナガンの『オーバーシーズ』だった。