かつての山下トリオ(山下洋輔、坂田明、森山威男)と同じ楽器構成のため、どうしても比較したくなる。山下トリオの真骨頂は、あるフレーズ(合言葉と言ってもいい)を元にして、どんどん膨らませていくことにある。その過程で様々な技(わざ)が出て、3人による技の掛け合いが頂点に達すると、膨らんだ風船がついに破裂してクライマックスとなる。
一方、セシル・テイラーの作法は、全体の骨格はすでにできていて、そこに壁や窓をはめ込んでいく感じ。全てをはめ込んだら完成。ジグソーパズルのイメージだろうか。LPのライナーノーツでは、間章(あいだ あきら)氏がこう記述している。「ピアノの歴史の中でテイラーはピアノの解体がピアニストの自己解体かという負性を理知の内に肉体を通してとらえ込んだひとつの局面の極を代表するべき存在である」。全く分からない。かつてのフリージャズを語る時の卑しき表現。いいか、悪いか。好きか、嫌いか。面白いか、つまらないか。音楽なんて、ジャズなんて、それでしかない。それを「自己解体」とか言って逃げる姿勢。フリージャズをつまらなくした連中がここにいたのだ。
1. What's New?
2. Nefertiti, The Beautiful One Has Come [1st Variation]
3. Lena
4. Nefertiti, The Beautiful One Has Come [2nd Variation]
5. Call [MONO 2nd variation]
Cecil Taylor - piano
Jimmy Lyons - alto saxophone
Sonny Murray - drums
Recorded on November 23, 1962 at The Cafe Montmartre, Copenhagen, Denmark.