富樫雅彦 / 双晶

LPのライナーノーツを担当した副島輝人氏が次のように紹介している。《富樫・佐藤は全くのフリー・フォームで、テーマもキイも決めない。任意に音を出し初め、反応し合っていく。360度の自由なアドリブと、根源的に完璧なインタープレイがそこにある。事実、二人は全く何の打ち合わせもなくステージに上がった。「そろそろ演ろうか?」「ウン」演奏後、何人かの聴衆から、「どのくらい練習したんですか?」と質問があった。佐藤は笑いながら答えた。「四年前、ESSGの頃、たっぷり練習しました」》。

ESSGとはExperimental Sound Space Group(実験的音響空間集団)のことで、その四年前、富樫はまだ下半身不随でなかった。その後、二人の間には空白の時が流れ、富樫は新たな演奏スタイルで、このライブに臨んだのである。「何の打ち合わせもなく」が事実であれば、このデュオは実験に入る前のチューニングとでも言うしかない。LP全体で30分余り。50分を超える完全盤CDがリリースされているが、そんなにも長くチューニングを聴く必要はないのだ。

1. 輝き - Radiance
2. 再び活発に - Renovation
3. 往事を回想して - Reminisce

佐藤允彦 - piano
富樫雅彦 - percussion

録音 1973年7月7日 / アートシアター新宿文化劇場

富樫雅彦 / We Now Create

富樫雅彦はドラムとパーカッションを担当。富樫が30歳になる2ヵ月前の1970年1月、不慮の事故(実際には事件)で脊髄を損傷し下半身不随となる半年前の演奏である。自分が所有するアルバムの中で、富樫のドラムを聴く事が出来るのは、本アルバムと『銀巴里セッション』のみ。もし、その「事件」がなければ、「世界のジャズドラマー富樫」になったであろうことは容易に想像できる。

本アルバムは、スイングジャーナル主催「第3回(1969年度)ジャズ・ディスク大賞」の日本ジャズ賞を受賞。大賞の発表は、翌年のジャーナル2月号(1月末発売)。つまり、事件と受賞の時期は重なっていた。富樫自身がライナーノーツに次のように書いている。「四部構成をもった、このアルバムの中で、パートからパートに移る沈黙の部分にも空間としての音楽は存在しているし、更に云えば、このアルバム全体が、私達の永遠のリズムの中での一拍であると思っていただきたい」。富樫は事件後、3年半沈黙したのだ。ちなみに、ジャケットは富樫が描いたもの。

1. Variations On A Theme Of "Feed-Back"
2. Invitation To "Corn Pipe" Dance
3. Artistry In Percussions
4. Fantasy For Strings

高木元輝 - tenor saxophone, cornpipe
高柳昌行 - guitar
吉沢元治 - bass, cello
富樫雅彦 - drums, percussion

録音 1969年5月23日 / 東京スタジオセンター
発売 1969年9月25日

友部正人 / にんじん

友部正人の代表曲「一本道」を聴きたくて、手に入れたアルバム。「しんせい一箱分の一日を指でひねってゴミ箱の中/あゝ中央線よ空を飛んであの娘の胸に突き刺され」。この曲がシングルでリリースされたのは1972年4月。その頃は中野に住み、学生時代には中央線を使って通学していたので、「中央線よ空を飛んで・・・」のイメージは、いまでも自分の中に焼き付いている。

ジャケットが逸品。アルバムタイトルの『にんじん』という文字はなく、「おでん/酒百円/焼酒八十円/ビール百八十円」と隅っこにあるのみ。大瓶ビールの価格を調べてみた。1971年から73年までは140円。一杯飲み屋で180円というのは納得。粗利で40円。

1. ふーさん
2. ストライキ
3. 乾杯
4. 一本道
5. にんじん
6. トーキング自動車レースブルース
7. 長崎慕情
8. 西の空に陽が落ちて
9. 夢のカリフォルニア
10. 君が欲しい

発売 1973年1月