スイングジャーナル 1966年12月号

表紙はコールマン・ホーキンス。連載記事「ジャズの巨人」でホーキンスが取り上げられている。特集記事は、創刊20周年記念企画「日本のジャズ界20年のあゆみ」。久保田二郎、いソノ・てルヲ、ジョージ・川口、松本英彦による座談会。スイングジャーナルの創刊は1947年(昭和22年)1月。記事下の年譜に「B6版表紙〈ビング・クロスビー〉とも24頁定価20円」と書いてある。

インパクトがあったのは、1953年(昭和28年)5月にビッグ・フォーを結成。ジョージ・川口、松本英彦、中村八大、小野満。破格のギャラを稼ぎ、その全てを使い切ったという内容が非常に面白い。ギャラは現金の前払いだったらしい。ユニフォームに札束をねじ込んで舞台に上がったそうだ。

スイングジャーナル 1966年11月号

11月3日から17日まで国内各地で開催される「オリジナル・ドラム合戦」と銘打ったコンサート。アート・ブレイキー、エルビン・ジョーンズ、トニー・ウィリアムスが来日。そして、ウエイン・ショーターやマッコイ・タイナーなどが加わる。それに合わせて、表紙はブレイキー。このドラム合戦の記事が中心だが、一番興味を持ったのは、「ジャズ喫茶マッチデザイン展(第1回)」。自分が訪ねたことがあるのは、ちぐさ、タロー、ディグ、木馬、ダウン・ビート。

スイングジャーナル 1966年10月号

表紙はラムゼイ・ルイス・トリオ。1965年5月録音のアルバムThe In Crowdのジャケット裏には、3人が表紙と同じ順に並んだ別の写真が掲載されているので、顔と名前が一致した。左がベースのEldee Young(エルディ・ヤング)、右がドラムのRed Holt(レッド・ホルト)である。

ところで、バド・パウエルが他界したのは1966年7月31日。享年41。スイングジャーナルの66年9月号には特集記事が組み込まれたはずだ。残念ながら、その号は所有していない。そして、この10月号には見開きの追悼記事があった。「バッド・パウエルが逝った」(牧芳雄氏)と「バッド・パウエルのピアノ」(藤井英一氏)。この頃は「バド」ではなく「バッド」と呼んでいた。以下は牧氏の文章からの抜粋で、とても勉強になる。

「1920年代を代表するピアニストをアール・ハインズ、1930年代を代表するのがテディ・ウィルソンとすれば、バッドはまさに、1940年代を代表する人ということが出来る。彼はいわゆるホリゾンタル・スタイルのモダン・ピアノの創始者と言うことが出来る。テディ・ウィルソンが、美しく作りあげたシングル・ノート・ラインを、彼はバップ・イディオムに応用してこれを更に一段と発展させた」。