スイングジャーナル 1969年3月号

ジャーナルの表紙は的を射てないことが多い。この号でアリス・コルトレーンである必然性が全くないのだ。特別企画「パーカー没後15年の軌跡」に合わせるか、ポール・チェンバースになぜしなかったのか。

チェンバースは、肺結核の悪化と香港カゼの併発で、1969年1月4日に他界。享年33。本田俊夫氏が追悼文を書いている。しかしながら、チェンバースの表面的な部分だけで、一つのエピソードも書いていない。執筆を依頼した児山編集長のミスジャッジだった。エリック・ドルフィーの記事もあって面白い号であるが、表紙と追悼文にミスがあり評価は「☆☆☆・・」といったところ。

スイングジャーナル 1969年2月号

2回目のディスク大賞の金賞がオーネット・コールマンのクロイドン・コンサート。1回目の金賞が、コールマンのAt The Golden Circle Stockholm Vol.1だった。だが、ストックホルムは1965年12月、クロイドンが65年8月の録音である。つまり、ディスク大賞は国内販売日を基準にしたために、2回目で早くも矛盾を表してしまった。

そして、興味深い記事はマイルスの来日公演中止。69年1月6日の渋谷公会堂が初日だった。だが、その日の午後に、プロモーターからの中止発表。来日メンバーのウェイン・ショーター、チック・コリア、ロン・カーター、ジャック・ディジョネットは入国許可が下りたが、マイルスだけが却下されたのである。当時の法務省入国管理局入国審査課は、詳細な情報を収集していたことになる。

スイングジャーナル 1969年1月号

表紙はニーナ・シモン。新年号ながら面白い記事はない。その中で、ジャズ喫茶ハイ・ファイ診断という連載記事のターゲットは野毛の『ちぐさ』。しかし、店主・吉田衛氏のインタビューもなく、単なるオーディオ装置の紹介に留まっている。自分ならば、オーディオのみならず、収集したレコードや店の内装などのこだわりを店主から聞き出すのだが…。

まぁ、実際にはそんな会話もしたはず。連載記事の趣旨から外れるということなのだろう。そう言えば『ちぐさ』はご無沙汰している。理由は退職。前職では、パシフィコ横浜での展示会の行き帰りには必ず寄っていたのだ。