スイングジャーナル 1969年11月号

表紙はドン・チェリー。大阪万博でインターナショナル・ジャズ・フェスティバル構想があり、それが頓挫してしまった速報は前号の10月号に取り上げられた。理由は定かではないが、予算の問題だったらしい。それを追求する形でレナード・フェザーからの寄稿が載せられている。今となっては、どうでもいい話ではあるが、ジャズという枠組みの中で傷をなめ合っている感じ。

ジャズより太陽の塔であり、月の石だったということだけである。ところが、国際博覧会史上初めて黒字となった大阪万博という結末。シンコペーションできなかった大阪万博。

スイングジャーナル 1969年10月号

この時代のジャーナルは今読んでも飽きない。この号においてもオーネット・コールマンの取材記事などがあり、コールマンは左利きだったことを発見。そして、キースの新譜アルバムの広告を見つけた。Somewhere Before ― ディランの作品My Back Pagesを題材にしたアルバム。このアルバムをきっかけに、自分はジャズにのめり込んでいった。