岡林信康 / 金色のライオン

岡林のアルバムは、この1枚しか所有していなかった。LPの発売は1973年11月。発売とほぼ同時に買った記憶があるので、高校2年生のとき。このアルバム発表の前後から、岡林は京都府丹波地方で農村生活に入る。アルバムジャケットは、そこでの写真だと思う。それまでの岡林に対しては、なんとなく距離を置いていて、アルバムを購入する気にはならなかった。ジャケット写真とプロデューサーが松本隆ということで、このアルバムに吸い寄せられたのだろう。

安価な中古CDを見つけ、最近買い直した。1曲目の「あの娘(こ)と遠くまで」を聴いただけで、高校時代の自分を振り返ることができる。この曲の一節。

あるべき姿で 草はしげり
雨を待っている空に 背伸びする
でかけよう 遠くまで
きっと あの娘が はこんでくれるはず

1. あの娘と遠くまで
2. 君の胸で
3. まるで男のように
4. ホビット
5. ユダヤの英雄盗賊バラバ
6. 黒いカモシカ
7. 見捨てられたサラブレッド
8. どうして二人はこうなるの
9. 金色のライオン
10. 26ばんめの秋

岡林信康 - 作詞作曲、歌、ギター
松本隆 - プロデュース、ドラム
ミュージシャン - 矢野誠、鈴木慶一、後藤次利、伊藤銀次、鈴木紙、助川健

録音 1973年8月28, 29, 30日 / 発売 1973年11月21日

大滝詠一 / A Long Vacation

今日は大滝詠一の命日。2013年12月30日他界(享年65)。はっぴいえんどの頂点は1971年のアルバム『風街ろまん』。時代の「風」を受け、「街」を日本語ロックで表現した最高傑作。大滝が20代前半の作品。それから10年後、本作をリリース。

4曲目のPap-Pi...は大滝の作詞作曲。それ以外は、松本隆(作詞)と大滝(作曲)によるもの。しかし、はっぴいえんど色は、ここには一切ない。10年間の「長期休暇」を終えた大滝のメッセージが詰まっている感じがする。

1. 君は天然色
2. Velvet Motel
3. カナリア諸島にて
4. Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語(ストーリー)
5. 我が心のピンボール
6. 雨のウェンズデイ
7. スピーチ・バルーン
8. 恋するカレン
9. FUN×4
10. さらばシベリア鉄道

発売 1981年3月21日

Otis Redding / The Dock Of The Bay

中学生の頃、深夜放送が一つの文化であり、音楽の大事な情報源だった。そして、パーソナリティから感じ取ることも多かった。今でも覚えているのは、パックインミュージック主催の麻雀大会。まだ高校に入ったばかりだったと思うが、麻雀大会に応募したら見事に当選。参加者は20名程度。当時のパーソナリティーであった野沢那智、小島一慶、山本コウタロー、林美雄などと卓を囲んだ。このアルバムを聴きながら、そんなことをふと思い出した。

オーティス・レディングは、The Dock Of The Bayを録音した3日後の1967年12月10日に、ウィスコンシン州モノナ湖の上空での飛行機事故により他界。26歳の若さで。このアルバムは、一曲目のThe Dock Of The Bayを聴きたくて購入。当時、シングル盤は家にあった気がする。次のフレーズを聴くと、今でもドキドキする。

Stin' in the mornin' sun
I'll be sttin' when the evenin' comes
...

1. (Sittin' On) The Dock Of The Bay
2. I Love You More Than Words Can Say
3. Let Me Come On Home
4. Open The Door
5. Don't Mess With Cupid
6. The Glory Of Love
7. I'm Coming Home To See About You
8. Tramp (With Carla Thomas)
9. The Hucklebuck
10. Nobody Knows You When You're Down And Out
11. Ole Man Trouble

Recorded
Track 1 on December 7, 1967.
Tracks 2 & 3 on March 14, 1967.
Track 4 unknown.
Track 5 on May 3, 1966.
Tracks 6 & 7 on June 23, 1967.
Track 8 on February 6, 1967.
Track 9 on September 29, 1967.
Track 10 on August 2, 1966.
Track 11 on July 27, 1965.