植草甚一 / マイルスとコルトレーンの日々

1977年2月15日初版・晶文社。ジャズ初心者向けの本ではない。マイルスとコルトレーンをかなり聴き込んでいないと、理解がかなり難しいだろう。例えば、こんなエピソードを取り上げている。

『コルトレーンのプロデューサーであったボブ・シールが、エルビンに対して「よくみんながコルトレーンはむずかしいというけれど、ぼくにはよく理解できるんだが」と言うと、エルビンは「それは、よく聴き込んだからだよ。いいかえると、きみはジョン・コルトレーン四重奏団の五番目のメンバーになったんだ」と答えた』。この文章を読んで、中級者ならばニヤリとするだろう。あとがきとして、本書の解説を清水俊彦氏が書いていて、以下はその抜粋。

「この本には、アメリカばかりでなく、イギリスやフランスのジャズ誌にものったエッセやレコード評やインタヴュー記事からのおびただしい引用がある。それだけではない。ジャズ以外のさまざまな分野の本や雑誌からの引用もふんだんにあり、そのうえ、植草さん自身の洞察力にとんだ批評はいうまでもなく、日常生活の断片までがしばしば現れてくる」。つまり、研究レポートなのだ。

植草甚一 / ぼくたちにはミンガスが必要なんだ

1976年11月発行 晶文社。植草氏は小柄であったことを初めて知った。この本には、いくつかの写真が挿入されていて、最後の写真はミンガスとのツーショット。もちろんミンガスのほうが一回りも二回りも大きいとは思っていたが、それ以上の差があったようだ。

この本は、図書館で借りて読んだのか、古本を購入して読んだのか定かではない。タイトルはミンガスになっているけれど、モンクとドルフィー、そしてミンガスの3部構成。なので、参考書として改めて購入した。2005年1月30日新装版第一刷となる。読み直す前から想定していたが、新たな驚きはほとんどなかった。その理由は簡単で、植草氏の文章を読んで、モンク、ドルフィー、ミンガスを好きなった訳ではないから。

彼らにのめり込んで行ったら、この本を通じ植草氏も好きだったということを知ったのだ。その頃、ジャズは「研究」の対象だった。過去の歴史を調べていくと新たな発見があり、聴き方が変わった。今は、娯楽の一つでしかないのかも知れない。結局のところ、ジャズ喫茶は探求の場ではなくなってしまい、衰退したのだと言える。自宅の小さいスピーカーと小音量で聴くジャズでは、見えないことが多数あるのだが…。

今必要なのは、植草氏の復刊ではない。現在のジャズを描き切れるライターの存在。中野宏昭氏の志を継ぐライターの登場を。『ぼくたちには今のジャズが必要なんだ』。

植草甚一 / バードとかれの仲間たち

1976年4月20日発行・晶文社。植草甚一には、学生の頃にハマッタ。決してジャズ評論家ではなく、ジャズ愛好家であった。つまり、ジャズが好きになってしまった植草氏の言葉が綴られている。「なってしまった」と書いたのは、彼が50歳近くになってからジャズを聴き始めたということ。彼のユニークな視点に対して、晶文社が『植草甚一/スクラップ・ブック』を企画したのは大成功だったと思う。この本は、表題通りにチャーリー・パーカーが主体となっているが、最終章はロリンズのことを書いている。面白いのは、久保田二郎氏との会話。

久保田「植草さん、貴方はチャーリー・パーカー好きじゃないでしょう」
植草「僕はパーカーは解らなかったです、みんながパーカーを聴かなくちゃ駄目だと云いました。それで一生懸命聴いたんですが、僕には解らなかった」
久保田「それは解らなかったんじゃなくて、好きじゃなかっんだ。え?そうでしょう」
植草「ええ、実はどうしても好きになれなかったんです、この本にそれは書きませんでしたけど」

植草氏は、パーカーの音楽ではなく、彼の生き方に惚れ込んでしまったのだろう。ジャズという音楽を論じるのではなく、その音楽を演じる人(ミュージシャン)にとてつもなく興味を持ったのが、植草甚一であったと、自分は分析しているのだが。

追記:この『スクラップ・ブック』には、月報の別刷りが付録されていた。No.13のこの本には山下洋輔と植草甚一との対談『新宿でジャズを聴きはじめたころ』が付いている。ジャズがきわめて熱かった時代。