スイングジャーナル 1966年10月号

表紙はラムゼイ・ルイス・トリオ。1965年5月録音のアルバムThe In Crowdのジャケット裏には、3人が表紙と同じ順に並んだ別の写真が掲載されているので、顔と名前が一致した。左がベースのEldee Young(エルディ・ヤング)、右がドラムのRed Holt(レッド・ホルト)である。

ところで、バド・パウエルが他界したのは1966年7月31日。享年41。スイングジャーナルの66年9月号には特集記事が組み込まれたはずだ。残念ながら、その号は所有していない。そして、この10月号には見開きの追悼記事があった。「バッド・パウエルが逝った」(牧芳雄氏)と「バッド・パウエルのピアノ」(藤井英一氏)。この頃は「バド」ではなく「バッド」と呼んでいた。以下は牧氏の文章からの抜粋で、とても勉強になる。

「1920年代を代表するピアニストをアール・ハインズ、1930年代を代表するのがテディ・ウィルソンとすれば、バッドはまさに、1940年代を代表する人ということが出来る。彼はいわゆるホリゾンタル・スタイルのモダン・ピアノの創始者と言うことが出来る。テディ・ウィルソンが、美しく作りあげたシングル・ノート・ラインを、彼はバップ・イディオムに応用してこれを更に一段と発展させた」。

スイングジャーナル 1966年7月号

表紙はジャッキー・マクリーンだが、マクリーンに関する記事はない。コルトレーンの来日公演を前にして、複数のコルトレーン特集記事が掲載されている。それ以上に気になったのが、公演スケジュール。7月10日から23日まで休みなしの連日公演。移動するだけでもエネルギーが必要だ。しかも、16日は夜中12時のスタート。ライブアルバムには、11日と22日のステージを使っている。それ以外は録音しなかったのか。それとも、55年経った今でも倉庫にテープが眠っているのか。

7/10 東京サンケイホール(6時半)
7/11 東京サンケイホール(6時半)
7/12 大阪フェスティバル・ホール
7/13 広島公会堂
7/14 長崎公会堂
7/15 福岡
7/16 真夜中のジャズ・コンサート/京都会館(夜12時)
7/17 神戸国際ホール
7/18 東京厚生年金ホール(6時半)
7/19 東京厚生年金ホール(6時半)
7/20大阪フェスティバル・ホール
7/21 静岡公会堂
7/22 東京厚生年金ホール(6時半)
7/23 名古屋愛知文化講堂

スイングジャーナル 1966年4月号

1966年4月の来日公演に合わせて表紙はジミー・スミス。車は詳しくないので車種は分からないが、愛車の前でニッコリのスミスなのである。

今月の問題作と取り上げられたのは、コルトレーンのアセンション。発売当時は『神の園』という邦題が付けられていたことが分かる。レビュアーは久保田高司氏と中村とうよう氏。久保田氏は満点ながら、中村氏は採点不能?としている。スイングジャーナルで数え切れないくらいのレビューを読んできたが、「?」としたのは、中村氏だけだろう。レビューは「問題が多すぎてぼくには評価できないので採点が遠慮させて頂いた」と結んでいる。むしろ、プロのレビュアーである中村氏に問題ありだ。