スイングジャーナル 1968年7月号

特別企画「コルトレーン一周忌にあたって」。その中で、ライバルに去られ生気を失ったソニー・ロリンズとある。同号の「世界のジャズ・ニュース」では、ソニー・ロリンズが行方不明との記事。1968年1月の来日の時、ロリンズは「アメリカを脱出したい」とか「ヒマラヤへ行きたい」と漏らしていたらしい。コルトレーンの特集記事ながら、ロリンズのある種の精神的弱さを感じてしまった。

それ以上に気になったのが、5月に初来日したチャールス・ロイドの公演レポート。期待されていたキース・ジャレットが、米国の出発直前に兵役召集令のため同行できなかったとあった。プロモーターとしては、ライブアルバムを企画していたのだと思うが、それは果たせず。しかしながら、突然にピアノを欠いたライブだったものの、ロイドは観客を歓喜させる演奏をしたとのこと。ロリンズとは大違いである。

スイングジャーナル 1968年6月号

表紙はジミー・スミス。マーチン・ルーサー・キングが暗殺されたのは、1968年4月4日。ジャーナルは、ジャズ、黒人、差別のキーワードで企画記事とした。

1963年8月28日の演説I Have A Dreamは著作権の問題で全ては公開されていないと勝手に思っていたが、国務省出版物としてネット上にあることを発見。演説では、まさしくI Have a Dreamの言葉が有名であるが、演説の最後にはLet freedom ringが繰り返されている。この言葉から、ジャッキー・マクリーンのアルバムLet Freedom Ringを連想した。だが、このアルバムは1962年3月19日録音なのである。一つ勉強になり、一つ課題が増えた。

スイングジャーナル 1968年5月号

1968年5月10日から14日までの4回の初来日公演を控えたチャールス・ロイドが表紙。メンバーはキース・ジャレット、ロン・マクルアー、ポール・モチアン。記事を読んでいくと、この時点でまだ23歳のキースに対する期待が書かれている。ところがである・・・。7月号に、この公演の結末が書かれているのだ。そのレビューは7月号で。