スイングジャーナル 1971年7月号

表紙はカーメン・マクレイ。全日本ジャズ・フェスティバルは1968年から72年まで続いた。もちろん、リアルタイムで経験していない。音源としては、このフェスティバルを企画した原信夫、つまりシャープス&フラッツの演奏しか残っていないようだ。

この号では、岩浪洋三氏がレポートしていて、面白い一文を拾い読みした。「ソロではやはり渡辺貞夫のプレイが群を抜いていた。日野皓正の場合は熱演は買えるが、常にハードにだけ吹きまくると、かえって訴える力が弱くなる。強弱があってこそそこにダイナミックスが生まれるのである」。こんな文章でジャズ評論家として飯が食える時代だったのだ。

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