「どうしてこんなに悲しいんだろう」が発表されたのは1971年。5年後のこのアルバムで2回目の録音。自分にとって、この唄は一生もの。なので、ライブは別として2度録音した拓郎の真意が分からない。ミュージシャンとは言え、過去の作品を振り返るのは分かる。事実、ディランは何度も同じ曲を演奏してきている。しかし、時代に即して演奏スタイルを変えてきた。いや、素材を大事にして、その時代に対して伝えたいことを唄ってきたのだろう。
では拓郎は…。このアルバムを「明日に向かって走れ」で開幕し、「どうしてこんなに悲しいんだろう」で中締めして、「悲しいのは」で仕上げした。一曲一曲に重みはあるのだが、アルバム全体を通して伝えたいものが散漫になっている。明日に向かうと決めたら、悲しいことなど後回しであり、そんなことなど考える余裕はないはず。なので、唄わされてしまったアルバムというのが自分の分析。ちょいと厳しいかな。
10年前のブログで上記のように書き、改めて検索したら、こう書いてあった。「’76年5月に拓郎が小室等、井上陽水、泉谷しげるの4人で設立したフォーライフでのファーストアルバム。既製のレコード会社で悶々としていた拓郎は、たまりにたまった今までのうっ積を一気にはき出すように、エネルギッシュに突っ走っている(CDジャーナル・データベースより)」。つまり、フォーライフを設立し、リリースを急いだアルバム。曲数が足りなく「どうしてこんなに悲しいんだろう」を再録したのだろう。
1. 明日に向って走れ
2. 一つの出来事
3. 水無し川
4. 僕の車
5. 我が身可愛いく
6. どうしてこんなに悲しいんだろう
7. 我が家
8. 風の街
9. 午前0時の街
10. ひとり想えば
11. 明日の前に
12. 悲しいのは
発売 1976年5月25日