ジャズ批評 1982年 No.1 40号

1982年2月20日発行。アルト・サックス特集で、その中に坂田明へのインタビュー記事「パワーを失ったジャズに”病気音楽”の新たなパワーを!」がある。坂田はアート・アンサンブル・オブ・シカゴの連中から「ヒューマン・ダイナモ」というアダ名を付けられたそうだ。つまり、「人間発電機」。

そして、ジャズ研時代に通い続けた中野のジャズ喫茶『ビアズレー』の広告をようやく見つけた。コンボには、途中からボーカルの女子大生が加わり、ちょっと気取って『オーブレー』に連れて行ったこともある。

ジャズ批評 1979年 No.2 32号

1979年4月20日発行。同年1月5日に他界したチャールス・ミンガスの特集号。編集長・松坂比呂による秋吉敏子へのミンガスに対するインタビューが載っている。インタビューは、死の一ヶ月後2月12日に赤坂プリンスホテル・ロビーで行なわれた。秋吉はミンガスの死を悲しむと言うより、淡々と生前のミンガスとのつながりを語っている。